江戸頃の華道

かつて、身分の高い地位にいた人々や非常に強い経済力を持った商人などが生け花を流行させて、それが庶民にも広まったといわれています。存分に楽しんでいた中で極めて伝統を重んじる格調高い生け花というものも同時に誕生することになり、これが現代に通ずるものであるということは間違いないという風に言えるかもしれません。

特に江戸時代に入ってからは、非常に多くの生花に関する解説書などの本が一層勢いを増して出版されていることも、その何よりの証拠であるというふうに考えられなくもありません。

民間で十分に養われた生花の技術というものが、アートとして大成するまでの間には、非常に長い時間がかかっているということを知っておくと、現代の人でとっても生け花というものの伝統と重みを十分に実感することができるということは間違いないと言えそうです。

また、民間で行われていた生け花の立場というものを向上させることを願う人が出てきたことや、増えてきたのがこの時代であり様々な流派を建てることで独自のやり方を弟子に伝えていくという流れができたことも、現代に至って50以上の流派があるともいわれる華道を推し進めたということの理由であると考えられなくもありません。

この頃になると、生け花がどのように行われていたのかということを記録する人が現れ画集のような形でまとめあげる本や雑誌なども増えてきたという風に言われているようです。

そして、これらが教育に対しても大きな効果を上げることになり、特に様々な礼儀を学ぶ上でまさに可動がうってつけのものであると考えられるようになったわけです。